私は田舎者なので、東京は(都会は)キラキラと輝いて見えますが、・・・
人は多く集まり
電車は多く走り
電車の中には非常に人が多い
ランチタイムには
コンビニや食堂は混雑する
イベントの際には
多くの人が集まる
人が多く集まるので
店は多くあり
仕事は多くあり
人が多く集まるので
お金が多く集まる
「現在の東京は、人間が根を下ろして生きることのできる土地ではなくなってしまっている。」
なんて言われちゃうと、ちょっと考えちゃいますよね
毎朝の満員電車は異常なのかもしれないし
イースターの渋谷駅前の混雑は異常なのかもしれない・・・・
本質的に考えて、
東京は(都会は)キラキラしてるのかな(^^;)
人間が「東京と血がつながっている」と感じることができるかどうか―ひとえに、その一点にかかっているのだと思う。
そして、そのときの「東京」は「故郷としての東京」
「人間を生み育てることができる東京」だ
だが、現在の東京は、人間が根を下ろして生きることのできる土地ではなくなってしまっている。地味消え、雨も降らず、耕す鍬もない荒れた畑だ。ここにあるのは、大都会としての機能ばかりである。
それは車とよく似ている。どれほど高級仕様の車でも、どれほど性能が素晴らしく、その中だけで人間が生きることはできない。車は、ときどき乗り込み、便利に使い、ときどき整備に出し、洗ってやって、寿命がきたり、飽きがきたりすれば買い換える、それだけのものだ。
東京も、それと同じだ。
たまたま、この東京という車に匹敵するだけの性能の車が他にはあまりないものだから―
あっても、多少個性が強すぎるものだから―多くの人間に、ずっと使われているだけのことで、本来は、とっかえのきく備品みたいなものである。
買い替えのきくものに人は根をおろさない。
買い替えの利くものを故郷とは呼ばない。
だから、
今の東京にいる人間はみな一様に根無し草で、
大部分は、親や、そのまた親が持っていた根っこの記憶
を頼りに生きているのである。
だが、その根の多くは、とっくに弱り果て、
その呼ぶ声は、とうの昔にしゃがれてしまった。
だから根無し草の人間が増える。
自分もその一人だと思う。
しゃがれて
【題 名:火車】
【著 者:宮部 みゆき】
【出版社:新潮文庫】